【自分のこと】過去の経歴。ものづくりの原点を振り返る
私のものづくりの原点をあたらめて思い返してみました。
過去を思い返してみても常に何かを作っいる人生を歩んでいるなあーと思います。
立体、平面問わず、アイデアを形にすることが好きでした。
小学校中学年
図書館で工作の本を借りては家で同じものを作っていた記憶があります。
ダンボールを足型に切り取ってビニール紐で鼻緒を通して独自のビーサンを作ったり
新聞紙で洋服を作ったり。
ゲーム機もあって熱狂的にハマっていた時期もあるのですが、そこを抜けたら次は
身近にあるもので工作ばかりしていたような記憶があります。
ビーズアクセサリー作りに夢中になる
そのうち社会人になった時はビースアクセサリーに夢中になり、当時携帯やPHSが世にで始めた頃爆発的に人気のあった
「携帯ストラップ」をつくり、フリマに持って行ったり(フリマサイトはまだだま出てこない時代)個人サロンで委託販売したりしていました。
当時の本業は印刷会社。
とにかく残業が多く、深夜残業も普通にあって、(今ではいろんな規制がありますが)当時は納期優先なので、
日にちをまたいで帰宅する日もよくありました。
そんなハードな会社員生活を送りつつも、その日のうちに帰れた日は自分の部屋にこもってビースアクセサリーや雑貨を作っていました。
今のようなおしゃれなパーツなんてない時代にひたすらテグスにビースを通し、色々アレンジを自己流で編み出していたように思います。
会社と家、手芸屋さんの通う女子。
年齢的に若いということもあって、睡眠時間を減らしてもとても面白い作業でしたね。
アイデアが形になっていくこと、それを買ってくれる人に出会いにいくことも楽しみでした。
そうするとますますのめり込んで、
「今度はもっと手の込んだものを作ろう」
「今まで使ったことのない素材のものと組み合わせて見よう」とまた引きこもって作業に当たる、そんなサイクルでした。
結婚新聞を作り始める
ブライダルのことを仕事にし始めたのも元はサービス精神からです。
結婚式に行けなかった人や知らない人たちに新郎新婦を紹介するような記事を書いたのがきっかけでした。
私自身パソコンもできなかったのですが、運よく会社の中でMacを使う部署に配属することになったので、そこでadobe製品の基本的な使い方を覚えました。
写真をこんな風に配置して、どんな記事にしたらみんなが楽しく読んでくれるかな、ということを女性週刊誌をみて研究し、試行錯誤の末、
スポーツ新聞風デザインのブライダル新聞が完成しました。
この時期、本業のより真剣に勉強していたかもしれないです。
友人の一言で視界がひらけた!
そんな新聞ばっか作っていると、友人の結婚式でも作って欲しいと言われ、ちょっとした人気者になっていました。
そのうちに「これを仕事にしたら?」と言ってくれた友人がいて、それでパッとひらけた感じかしました。
その後は本業をしながらもチラシや名刺の紙の仕事を知り合いからもらうようになり、WEBのバナー制作やネット通販の商品登録の仕事も積極的にするようになりました。
たとえ未経験でもやってみたい、作ってみたいという思いが原動力となって新しいことにも挑戦できたのだと思います。
できないことに挑戦することには勇気も、その分の知識もいりますので勉強もしなくてはならない、知ってる人から学ばなければならない。
それでも自分で何かを作る、作れた!という感覚を味わいたかったのだと思います。
仕事への意識
仕事で学んだパソコンスキルでブライダル新聞を作れるようになり、写真を使ったウェルカムボードを作れるようになったことは本当に嬉しいことです。
ブライダル関連の物はご注文をいただく分、扱う写真も結婚新聞の記事も毎回違うので、お会いしたこともないお客さんのウェルカムボードや記事を書くのはかなりの緊張感がありました。
納品した時の
「すごい!こんなになるんだ」
「この記事デフォルメされてて面白い」
と喜びの感想を聞くと本当に嬉しくなりました。
紙面からWEBの仕事へ転職し、仲間内で盛り上がりたくて作ったブライダル新聞。
このブライダル新聞からブライダルのことを勉強するようになり、そういう関係者と仕事をするようになりました。
すると自分が思っていた結婚式と今は全然違っていること、その業界にも流行りがあることがわかってきてそれに合わせたアイテムを提供したい、と
思うようになりました。
物は提供するのですが、その提供したものを使って仲間と特別な時間を過ごす、
結婚式という、非日常空間を飾ってもらいたい、そう思うようになりました。
どんなものなら提供できるのかな、どんなものを待っているんだろう?
どこの業界でもすぐに答えが出る問題ではないですが、自分の提供した商品が皆さんの挙式の脇役となって
素敵な時間、空間となることを願って作業をしています。